ふと思い立って、越美北線に乗ってきた。
年の瀬の帰省ラッシュ、大きな旅行鞄を手に故郷へ向かう人々を見ていると、自分もちょっとどこかへ出掛けたくなってしまった。触発されたのである。
特急は使わず、ローカルで行くことに。最初の列車は幸運にも117系。途中堅田までお世話になることに。中国人観光客が多かった。
山科からひと駅の大津京で、サンダーバードを退避。
117系は登場から約40年、かなり大胆なフォルムだと思う。
右手に琵琶湖を眺めながら。
雪雲が立ち込めてきたが、まだまだこのあたりは曇り。
②湖西線3230M 堅田10:05→敦賀11:15
117系とは30分ほどでサヨナラして、堅田からは新快速に乗り換え。
車内は帰省客と思しき人達で賑わっていたが、なんとか席にありつけた。
近江舞子を過ぎたあたりから雪が激しくなり始め、さらに北進するとこの通り。
湖北と湖南でここまで違うとは。恐るべし滋賀県。
途中の近江今津で切り離し作業、4両の身軽な編成となってループ線へ。
結局、里帰りの家族連れと思しき人々は終点の敦賀まで乗り通しているようだった。時間的にちょうどいいサンダーバードが無かったのか、はたまた指定席が満席で「混雑した自由席で行くくらいなら新快速でいいや」となったのか。
③北陸本線1241M 敦賀11:38→越前花堂12:44
20分ほどの待ち合わせで、敦賀からは普通列車の福井行きに乗り換え。
ここからは電源が直流→交流に変わるので、交直流両用の521系が主役となる。新快速の乗り換え客を2両で捌ききれるはずもなく、あっという間に満席に。
武生、鯖江で乗客の入れ替わりがあったものの、終点の福井まで乗り通す人が多いように見受けられた。私は終点のひとつ手前、越前花堂駅で下車。越美北線のホームは少し離れた所にある。
越美北線のホームには、簡易的な待合室が設けられていた。
この越前花堂駅、今でこそ北陸線と越美北線双方の列車が停まるようになっているが、元々は越美北線オンリーの駅として開業した。つまり、かつて越美北線と北陸線が分岐していたのは福井駅ということになる。
まだ折尾駅が地上駅だった頃、鹿児島本線と筑豊本線のホームがちょうどこんな感じの位置関係にあったっけ。
④越美北線727D 越前花堂12:54→九頭竜湖14:20
15分ほどの待ち時間で、乗り継ぎの普通列車が到着。体質改善工事を終えたキハ120の単行だった。7分ほど遅れて到着したが、どうやら、車両点検で遅れていた特急「しらさぎ」からの接続をとっていたようだ。
車内は立ち客が出るほどの満員なので、車両後方の一角に陣取った。
この列車でもまた帰省客と思しき人達が多かった。
雪に覆われた田園地帯を、軽快なジョイント音を響かせながら走る。
外はかなり冷え込んでいるようで、途中並走する道路にあった温度計は2℃を指していた。
1時間半ほどの乗車で、終点の九頭竜湖駅に到着。
往路の列車の折返しがそのまま復路となるので、あまり滞在時間はない。
⑤越美北線730D 九頭竜湖14:35→福井16:03
キハ120-204はラッピング車両。越美北線沿線をカバーする大野市は越前大野城のラッピングを纏っていた。朱色に金色のアクセントを纏うことによって、まるで輪島塗のような高級感を漂わせることに成功している。
乗客はまばら。切れ切れになった雪雲の隙間から、傾きかけた冬の陽光が時折顔を覗かせる。降り積もった白雪の反射に助けられ、暮れなずむ田園地帯は、どこか子供じみた活気を帯びているようだった。
終点・福井に到着。行き止まりの2番のりばに到着。
これをもって、未踏の越美北線の旅は終了。福井駅の駅ビル内にある「8番ラーメン」で遅めの昼食兼早めの夕食をとって、やはり行きと同じく普通と新快速を乗り換えて帰りましたとさ。