若手おいさんの日記

よく食べ、よく飲み、マイペースで生きましょう。

201231_大晦日、雪の米原駅

 今日は2020年最後の日。大晦日。数年に1度レベルの寒波が迫っているとのことで、雪を期待して米原駅の新幹線ホームを訪れた。雪の中を駆け抜ける新幹線の姿を捉えてみたいと考えたからだ。

 最寄り駅から東海道線の上り電車に乗り込むと、野洲あたりまでは雪が“残っている”という風景だったが、それよりも東に進むに連れて車窓は次第に雪国のそれと化し、琵琶湖が抱く広大な田園地帯は見事なまでの真っ白に覆われていた。

 能登川あたりまでやって来ると吹雪の様相を呈し、よほど見通しが悪いためか、速度を落とす場面も増えていった。駅を発ってから最高速にたどり着くまでの間、インバータ音の周波数が不規則なアップダウンを繰り返す。降り積もる雪のせいで空転しているようだった。

 そんな道程を経て米原駅の在来線ホームに降り立つと、屋根の無い先端部分には新雪の塊が認められ、“しんしん”と音が聴こえそうな勢いで雪が降り続けていた。九州で生まれ育った私にとって、湖国の雪景色は新鮮な日常である。

 ここ米原駅JR東海JR西日本の境界駅にあたり、意匠の異なる車両どうしが顔を合わせる。雪にまみれ寒さに凍えるお互いの労をねぎらい合っているようだった。

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PENTAX KP + smc PENTAX 67 300mm F4

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いつもの新幹線ホームにやってきた。やはり考えることは皆同じようで、これまでに私が見た中で最も多くのギャラリーが集まっていた。その数およそ20といったところ。ドクターイエローが走る土日でさえもこんなに集まったところは見たことがない。

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 私が到着してしばらくは強く雪が降っており、編成の半分から後ろは白の中に隠れてしまうほどだった。

 東海道新幹線米原岐阜羽島関ヶ原エリア)は降雪が多く、冬、特にここ数日のような寒い日になると、列車はよく遅れる。車両に付着した雪が固まって大きな氷塊となり、やがて脱落、車体に当たったり周囲に飛び散ったりして物的・人的被害を生じさせることを防ぐために減速して運転するからだ。

 着雪量が目に余る場合は途中の駅に停まり、乗務員が車両に付着した雪を落とす作業を行うこともある。ちなみに、岐阜羽島駅で見られるやたらと多い線路の風景は、関ヶ原エリアの雪害でダイヤが大幅に乱れた際に運転整理をしやすくするためのバッファである。

 関ヶ原の雪害については国鉄時代からの悩みの種で、JR東海もかねてより対策に余念がなく、線路際にスプリンクラーを設置したり、車両下部のフサギ板にヒーターを設置したりするなど、工夫を凝らしている。こうした努力のおかげで、列車の遅れもそれほど大きくならずに済んでいる。

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 しばらくすると小康状態となり、少なくとも先頭車両についてはくっきりと見えるまでになった。今日はJ編成にも巡り会えた。画一性の中にあるちょっとした変化が嬉しい気持ちにさせる。

 

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 雪による遅れで列車間隔が詰まっており、コロナ禍前の繁忙期よろしく次から次に列車がやって来た。ただし臨時速度制限がかかっているため速度は遅め。時速200kmには達していないと見え、新幹線の通過シーンとしては静かなものだった。

 

 冒頭でも触れたが、いよいよ2020年が終わる。今年を振り返ると世間的には暗い話題が多かったように思えるが、私たち人間にとってのより良い暮らしのあり方について、真面目に考え始める契機となった年という側面もある。どこでも働ける環境が整うことで夢を叶えた者も多いだろうし、思いもよらなかった自らの可能性に気づいた者もいるだろうと思う。

 幸い私はチャレンジするのに遅すぎないくらいにはまだ若い。生きていると凹むことはたくさんあるが、逆境は新しい価値を生むという教訓を胸に、新しい年も生き抜いていきたいと思う。

 どなた様も、良いお年が迎えられますように。

 

<過去記事>

oitanshi.hatenablog.com