先週木曜日の夜、遅めの夕食時にテレビを点けてチャンネルを回していると、NHKで上記の番組をやっていた。取り上げられていたのは、旧ソ連を建国したウラジーミル・レーニン。
学生時代、貯まったマイルで行ける最遠の地がモスクワだったという理由だけで、ロシアを訪れたことがある。その折、たまたま公開されていたレーニン廟を訪れ、エンバーミングが施されたその亡骸を目にした。(念の為だが、私はレーニンを崇拝したりその考え方を啓蒙したりするつもりは毛頭ないことを書き添えておく)
高校時代に世界史Bを勉強してはいたものの、あいにく歴史というものにとんと興味を持つことができず、ただテストで点を取るためだけに勉強をするという、知識人らから時折揶揄される、日本教育の弊害をよく体現した学生の1人であった。しかし、時の流れはいつしか人の感性をも変えてしまうようで、あれから10年以上の年月を経た今、自分の知らない過去を訪ねるという温故知新の謙虚な姿勢が青年に与えられた。
というわけで、レーニンについてネットで色々と調べていたところ、ニコライII世に辿り着いた。ニコライII世といえば、ロシア革命で家族ともども殺害されてしまったラストエンペラーだが、彼はまだ皇太子だった1891年に日本を訪れており、その際に観光目的で立ち寄った大津の地で滋賀県警巡査による突然の襲撃を受け、頭部をサーベルで切りつけられた。これが世にいう大津事件である。
ずいぶんと昔にそんなことを学校で教わった記憶が蘇ってきて、そういえば今自分はまさにその現場にほど近い場所に住んでいることをふと自覚。調べてみると、大津事件の現場には石碑が建っていることがわかった。かつて旅行で訪れ興味深く遊山した国と今済んでいる土地のつながりを、散歩がてら見に行くことにした。
ここは大津市の旧東海道。今はメインストリートから外れているが、かつては多くの人が行き交ったに違いない。JR大津駅からほど近いこの通りに、その石碑はある。
・・・あった。「此附近露国皇太子遭難之地」とある。今からおよそ130年前、ここをニコライ2世が訪れていたかと思うと感慨深い。
事柄の概要はこの通り。この事件をきっかけに、日本の三権分立は確固たるものになったらしい。
大河ドラマ「麒麟がくる」ゆかりの地でもある滋賀県は、大津事件のように、様々な歴史的な出来事の舞台となった場所を多く抱える。過去を振り返ることもまた、自分の身近に潜む魅力に気づくきっかけとなる。これからも、小さな好奇心の糸口を大切にしていこうと思った。