車庫は私が鉄道趣味に興じることになった原点であると言っても過言ではない。
あれは小学生時分だったか、まだ大分駅が地上にあって1番のりばの立ち食いうどん屋も現役だったころ、最も南側にある6・7番のりばよりも更に南側にまで線路の網が広がっていた。ここに豊肥久大運輸センターがあった。
九州急行色を纏ったキハ58や銀色のキハ31、最もエモいところでは寝台特急『富士』の赤い機関車と青い客車を外から間近に見ることができた。三十路を過ぎてなお鉄道に魅せられる物好きなおじさんを育むには環境が整い過ぎていた。
先日訪れたJR舞鶴線の西舞鶴駅には、京都丹後鉄道の西舞鶴運転所も併設されている。カーシェアの車はこれの側にある駐車場に停められていたので、必然的に車庫を眺めることになったのだが、ひと目した瞬間、先述したような昔の体験が思い起こされた。留め置かれた車両があの頃と同じく色とりどりのディーゼルカーだったことや、所帯がこぢんまりとしていることがその理由だと思う。
月を見上げて生まれ故郷に思いを馳せることはあれど、まさか異郷の車庫を見てノスタルジーに浸る文化を持つ者がこの世に現れようとは、在りし日の名高き歌人たちでさえ思いもよらなかったことであろう。